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戒壇院 花まつり

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花まつりはお釈迦様の誕生を祝う行事で、一般に4月8日に行われ
ます。
ここ戒壇院では、15年くらい前までは月遅れの5月8日に行われて
いましたが、子供会や育成会の協力もあって4月の春休み中に
行われています。
今年は5日土曜日。小雨の中、多くの参拝客が訪れてました。
今年は雨が予想されたので初めて堂内で行われたそうです。

本堂に設けられた木製の花御堂は屋根をたくさんの花で飾られ、
甘茶を満たした器には誕生仏が安置されています。和尚様の読経
の後、子供会の代表が甘茶をかけてお参りし、戒壇院総代の方の
講話がなされました。

そして、皆で花まつりの歌を元気に合唱し、それぞれが甘茶を
かけ、お誕生を祝い、おふるまいの甘茶やお菓子をいただきました。
最後に、子供たちは庫裡内のぞうきんがけをしてご奉仕をしました。

参拝客は少量の花を持参し、祭壇にお供えします。小さな子ども
たちが1輪の花を祭壇にお供えする様子はとても微笑ましく、堂内が
だんだんと明るくなったように思えました。

70代の男性は「昔から行われていますよ。母は甘茶を作ってここ
に持って来ていました。アジサイに似た葉でね。干してお茶にし
ます。今も庭にはそれが生えていますよ。」とお話されていました。

これからも地域の大切な行事・文化遺産として、ご参拝の方のお
話の聞き取りや変化を記録しながら今後も調査を進め、「文化遺
産からはじまるまちづくり」に役立つ資料として蓄積していきた
いと考えております。

さいふまいりの道 ~天山(あまやま)の石燈籠~

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太宰府市から南東に約5km、筑紫野市天山地区は宮地岳の南麓に
位置し西側を宝満川が流れる自然あふれる歴史の街です。

この天山地区を旧日田街道が通っており、西は針摺を経て二日
市宿、東は二(ふた)・石櫃を経て甘木宿へと続いていました。
現在も細い道筋や街道沿いの建物が往時の面影を伝えてくれて
います。

この天山地区の西の入口に「さいふまいり」に関わる石燈籠が
立っています。
石燈籠には「太宰府」「天満宮」と大きく記されており、幕末
に五卿も滞在した天満宮の宿坊「延寿王院」の名も記されてい
ます。

一方、台座には「秋月連中」とあり、寄進者の氏名に綿屋・油
屋・問屋といった文字が見えることから、幕末に秋月の商人達
を中心として建立されたことがうかがえます。

江戸時代に描かれた「旧蹟全図」や「古戦古城之図」などには
天山村から宝満川に沿って北上する「宰府道」が記されており
日田街道と太宰府へと向かう道の分岐点に建てられ道標として
の役割を果たしていたことが考えられます。

現在、年間約700万人の方々が太宰府を訪れていますが、江戸時
代においても太宰府を訪れる多くの人々がいた事を今に伝えて
くれる貴重な文化遺産です。

太宰府への道しるべ ~筑紫野市岡田の追分石~

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筑紫野市の岡田地区に鎮座する老松神社は、境内に北朝方の年号
である康永4(1345)年の紀年銘がある阿弥陀三尊板碑(あみださん
ぞんいたび)が祀られている由緒ある神社です。

また、隣接地には子供のよだれを治すと伝えられるよだれ地蔵尊
も祀られています。

この老松神社・よだれ地蔵がある一角に「太宰府」が記された追
分石が残されています。碑の表面はかなり磨滅していますが、

・東面
「          太宰府 □□    
  ←(左矢印) 天山        道
           寶満  米山   」
・南面
「 →(右矢印) 下見 筑□ 原田
                道
  ←(左矢印) 常松 永岡 山口   」
・西面
「大典記念岡田青年會」
と彫られています。

時代の流れや区画整理によって、一帯の風景や建立場所は変わっ
てしまいましたが、街道を行きかう当時の人々にとって「太宰府」と
いう地名が一つの指標であり、岡田地区から天山を経て太宰府
を訪れる人々がいた事を物語ってくれる貴重な文化遺産です。

さいふまいりの道 ~青柳宿の道標~ 

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太宰府市から北へ約30㎞の位置にある福岡県古賀市の青柳宿は旧
唐津街道の宿場町として栄えた町で、江戸時代は福岡藩・唐津藩
・薩摩藩が参勤交代の休泊地として利用するなど多くの人々で賑
わいました。現在も構口の跡などが往時の面影を伝えてくれてい
ます。

この青柳宿の中ほど、旧唐津街道から太宰府へと向かう道が分岐
する地点に大きく立派な「太宰府神社道」の道標が残されています。

側面にある銘文から、明治29(1896)年2月に二十五夜待をはじめ
とする有志によって建立されたことが分かります。碑面に私達に
馴染み深い「太宰府天満宮」ではなく「太宰府神社」と記されて
いるのは、道標が建立された明治時代には神仏分離令や近代社
格制度のもと「太宰府神社」と改称していたためです。
 
太宰府天満宮へ参詣し名所史跡を巡る「さいふまいり」は江戸時
代に隆盛しますが、明治時代に入ってからも太宰府を訪れる多く
の人々がいた事を伝えてくれる貴重な文化遺産です。

竈門山でつくられたお薬師様 筑前町「薬師仏」

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昨年国史跡に指定された宝満山は豊かな自然と人々の信仰、歴史
ある遺構に彩られた山ですが、信仰の山ならではの伝承も数多く
伝えられています。

その一つに、天台宗を開き比叡山延暦寺を創建した最澄(伝教大師)
にまつわるものがあります。

延暦22年(803)、入唐のため太宰府に至った最澄は渡海の無事
と求法成就を祈って竈門山寺で薬師仏を7体造ったと伝えられて
います。

7体は太宰府の有智山寺や筑紫野市の武蔵寺など7か所の薬師堂に
祀られたといわれており、そのうちの1体が現在の筑前町朝日に
あった日照寺に安置されたと伝えられています。

日照寺は広大な面積を誇る大寺で、平安時代から鎌倉時代にかけ
て大いに栄えたと考えられています。

日照寺はその後、度重なる戦乱によって焼失してしまいますが、
地域に人々の手によって薬師仏を祀る御堂が再建され、桃山時代
の作と思われる薬師如来が安置され、現在も地域の方々からは
「おやくっ様」と親しまれ大切に守り続けられています。

お祀りする御像や建物は移り変わっても、人々の信仰は変わらず
に受け継がれていることを教えてくれる貴重な文化遺産です。

佐賀県鳥栖市「姿見の池・腰掛の石」 

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太宰府天満宮に祀られている菅原道真公ですが、道真公に関する
伝説は各地に数多く残されています。太宰府市内には、御笠川か
ら上陸されたという「水城の渡し跡」や衣服を整えられたという
「衣掛天満宮・衣掛石・姿見池」をはじめとした様々な伝承が残
されており、各地域の文化遺産として調査されています。今回は
このような道真公にまつわる市外の文化遺産を御紹介したいと思
います。

太宰府市から南へ約20kmの位置にある佐賀県鳥栖市。この鳥栖市
内中央部にある元町には菅原道真公にまつわる伝承と史跡が残さ
れています。

伝承では、菅原道真公が太宰府へ流された際に従ってきた人々の
一人に三角左近将監時遠という人物がおり、彼が年老いて隠居し
た地が現在の鳥栖市元町であったそうです。

三角時遠には子がなかったため道真公に請い、道真公の五子であ
る長寿麿を養子として迎えたと伝えられています。道真公は我が
子長寿丸にたびたび会いに訪れ、その際に腰を下ろしたという石
が「腰掛の石」として、長寿麿に肖像画を与えるため自らの顔を
水面に映して描いたという池が「姿見の池」として伝えられてい
ます。

この他、史跡の周辺にある妙善寺・妙覚寺は長寿麿の子孫に由来
するとも伝えられており、また、史跡の入口には大正14年に地元
の人々が建立した史跡碑も残されています。

現在史跡は静かな住宅街の一角にたたずんでいますが、地域で受
け継がれてきた伝承は太宰府とのつながりや道真公・天満宮信仰
の広がりを今に伝えてくれています。

太宰府文化遺産調査事業では史跡などの有形のものと共に、伝承
や信仰といった無形のものについても大切に記録し、未来へ受け
継いでいけるよう活動を進めてまいります。

ほんげんぎょう 

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太宰府市では毎年正月7日の早朝に「ホンゲンギョウ」と呼ばれる
火焚き行事が行われています。

今年も早朝より内山・三条・五条・観世・国分などの地域で開催され
地域の方々が櫓を囲む中、「パンッ」という竹の破裂音が各所で響き
渡っていました。

もともとは1月7日に行われている行事ですが、地域によっては参
加しやすいように週末に行っているところもあり、大佐野地区は
先週末に、国分地区は今度の12日に行われます。

一時期は途絶えた地域もあるホンゲンギョウですが、地区の行事と
して再興されたところもあり、現在ではお正月ならではの行事として
地域で大切に受け継がれています。太宰府文化遺産事業ではこのよう
な行事や信仰、民俗などの無形文化についても調査・記録に取り組ん
でまいります。

写真:上から内山地区・三条地区・五条地区・坂本地区の
   ホンゲンギョウの様子

ほんげんぎょう(どんど焼き)の準備

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明日7日早朝(あるいはこの日に近い日曜日)、市内各地域では
ホンゲンギョウ(どんど焼き)と呼ばれる火焚き行事が行われます。
青年会や子供会・婦人会を中心に先月から竹切りなど準備を進め
ている地域もあるそうです。人の手だけではなく重機を使って組
む地域もあります。

神社の境内や広場・田圃などで、前日までにこのように櫓を組み
当日壮大に炎を上げる中、お守りやお正月に飾った注連縄などを
燃やします。

破竹の「バンッ」という音が厄除けになる、書き初めの紙をくべ
て上達を祈るなどさまざまな意味をもつ行事です。以前はこの火
を持ち帰って初めて家のかまどの火をつけるということも行われ
ていました。

冬休み最後の明日早朝、子供たちも集まって、燃えさかる櫓を囲
んで一年の無病息災をみんなで祈ることでしょう。

写真:上段左:北谷 上段右:三条
    下段左:衣掛天満宮 下段右:観世公民館前

 四王寺山 毘沙門天詣り

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四王寺山の最高峰である大城山の山頂には毘沙門天を祀る御堂が
あります。この毘沙門堂では毎年1月3日に毘沙門天詣りが行わ
れており多くの人で賑わいます。

山道を行き交う人々と「明けましておめでとうございます」と言
葉を交わしながら登ると、毘沙門堂のある標高410mの大城山
山頂に辿り着きます。

毘沙門天詣りは地域の方々によって行われており、宇美町の無形
民俗文化財に指定されていますが、地元以外からも近隣の太宰府
市や大野城市をはじめとする参拝の方々で今年も賑わっていました。

この毘沙門天詣りでは、毘沙門天様からお金を借りて、翌年に2
倍にしてお返しすると金運に恵まれてお金に困らないと伝えられ
ています。

拝殿にはお金が並べてあり、お返ししたりお借りする光景が数多
くみられました。

四王寺山は古来より人々にとって信仰の山として大切にされてき
ましたが、現在も毘沙門天詣りや三十三石仏など様々な形で受け
継がれています。

太宰府文化遺産事業では、このような行事や信仰、民俗などの無
形文化についても調査・記録に取り組んでまいります。

筑紫野市 山家宝満宮の岩戸神楽

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筑紫野市の山家宝満宮では、毎年10月17日、筑紫野市の無形民
俗文化財の指定を受けている岩戸神楽が奉納されます。

近郊の町の秋のお祭りということで、ボランティアさんにご案内
したところ、数名が参拝にお見えでした。

午後1時から13番、およそ3時間半、神楽が奉納されます。境内の
神楽殿の前には大きなシートが何枚も広げられ椅子も準備され、
少し寒く感じる中、常時70名ほどの参拝客が見物していました。

2時になるとふもとの山家小学校の児童たち150名も見物にやって
きました。

小学校の神楽クラブの5年生4人が、皆の前であざやかに神楽を
舞い、温かい拍手が起こっていました。その中の一人の児童は
祖父・父とこの神楽を舞ったことがあるそうで、三代にわたって
舞うことができたと、ご紹介がありました。

このように地域に根ざし、幼い頃から親しむということは、行事
や信仰を廃れさせない重要な要素であると感じました。郷土への
愛着というものは時間をかけて育むものであることがよくわかる
ひとときでした。

翻って、太宰府ではどうでしょうか。
文化遺産のひとつひとつの調査を通じて、その事実だけではなく
地域との関わり方の変遷や惜しくも廃れてしまった行事などを整
理することで、これからの町づくり・人づくりのヒントを見つけ
出し、活動に役立てていきたいと思います。

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