ボランティア活動

協会で活動している3つのボランティアを紹介します

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史跡解説ボランティア
「大宰府史跡解説員」

大宰府史跡解説員は公益財団法人古都大宰府保存協会の委嘱を受けたボランティアで、昭和58年4月から昭和60年3月に開催された九州歴史資料館10周年記念「大宰府アカデミー」の受講生から昭和60年3月18日に誕生しました。太宰府市を訪れる方々や在住の方々に対して「大宰府のすばらしさを多くの方々に伝えたい」という熱い思いを持って日々活動しています。財団が主催する「史跡めぐり」講座での解説や、個人やグループ・学校から依頼がある解説、また大宰府展示館・水城館・太宰府館の来館者に対して展示の解説を行っています。現在76名の解説員で活動を行っています。

万葉植栽ボランティア
「ゆづるはの会」

太宰府市には市域面積の約17パーセントを占める貴重な史跡地がありますが、公有化されたものの未整備のままの状態の土地に、ゴミが放置されるなどの事態が生じたこともありました。そこで、その史跡地を有効に活用し、また歴史の散歩道をたどる人々が、大宰府政庁などが建っていた頃の野山の風景を少しでも想像していただけるようにと、平成7年7月から「万葉の花講座」を開催し、万葉植物の勉強をし、実際に苗を植え始めたのがこの会の始まりです。平成21年度よりこの会の名称を「ゆづるはの会」としました。史跡地に彩りを添え、季節ごとに変わる万葉の草花を市民や観光客の方に楽しんで頂いています。

太宰府市文化遺産調査
ボランティア

文化庁による『文化財総合的把握モデル事業』において、太宰府市がその実施団体に選ばれ、事業の一部を保存協会が受託したことをきっかけとして、この事業に関わっていただくボランティアを平成20年に募集し、活動が始まりました。市内外のボランティアの方々が、市内に7つある小学校区を基本に、日田街道・四王寺山・東ヶ丘・御笠川を加えた11の班に分かれて調査を行い、“まちあるき”を始めることにより、それにつながる、モノ・コト・ヒトに注目しながら「調べ」「伝え」「見守る」活動を行っています。この事業を通し、社会全体での文化財の継承を目指しています。これまでに6000件を超える文化遺産が記録されています。

ボランティアの日々の活動をお伝えします

2011年7月

2011年 07月17日
7月15日

7月10日(日)、13日(水)、15日(金)の3日間にわたり
九州国立博物館のボランティア部会の方々をだざいふ園前~
延寿王院光明寺~朝日地蔵~観世音寺~戒壇院~大宰府展示
館~大宰府政庁跡(歴史の散歩道)までご案内しました。

実際に現地を歩くことで太宰府に関する知識を深め、博物館での
ボランティア活動に活かす試みだと思いました。

解説員:10日(白石、山崎)13日(井土、藤田)15日(近藤、庄野)

連日30度を超す真夏日でしたが、皆さん大変熱心で、同じ
ボランティアをするものとして楽しく案内することが
できました。(15日を取材)

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延寿王院前にて

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光明寺にて

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解説員:庄野

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解説員:近藤

光明寺
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この寺は鎌倉時代中期に円爾弁円(えんにべんえん)の門下で
あった鉄牛円心(てつぎゅうえんしん)によって開山されました。
天神様が中国へ渡って禅を学んだという渡宋(とそう)天神ゆかり
の寺院で、苔寺としても知られ、境内には昭和32年に作られた
枯山水の美しい庭園があります。
また前庭に“仏光石庭”といわれる石庭があります。

2011年 07月06日
6月28日のご案内

いつもは依頼を受けて案内する私達ですが、地元の方々に
もっと太宰府の良さを知ってもらいたい…との思いから自分達が
住んでいる地域の福祉活動として「バスで巡るわがまち散策」を
計画。
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九州歴史資料館、水城跡、国分寺跡、文化ふれあい館、岩屋城
跡、大野城跡(百間石垣)、竈門神社周辺をご案内しました。
解説員:大場、藤田
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足の弱った高齢者の方には無理、と思われる四王寺山の岩屋城
跡に登られたときは、眼下に眺める政庁跡や自分達の住んでいる
場所を探して、みなさん大感激でした。
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岩屋城について説明

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政庁跡を眼下に見て

解説員で地元の方たちを案内する活動をしている人が何人も
います。地域活動の一つとして私たち解説員を多いに活用して
欲しいと思っています。

岩屋城跡
四王寺山の南腹の小高い部分は、岩屋山(標高281m)と呼ばれ
ており、山頂に岩屋城跡があります。

天正14年(1586)、九州制覇を目指す島津の大軍を城主の高橋
紹運は僅か760余人でこれを防ぎ、死闘の末全員が討ち死にし
落城しました。見晴らしの良い本丸跡には「嗚呼壮烈岩屋城址」
の石碑が立っています。また、車道をはさんだ下側には、高橋
紹運の墓がある二の丸跡が残っています。
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政庁跡から岩屋城を望む

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