モデルコース

「水城館」発 水城館見学&水城跡東門の周辺散策(2時間)

 水城館 ⇔ 水城跡(東門) → 姿見の井 → 衣掛天満宮 → 陣の尾古墳 → 水城跡展望台 → 水城館

ボランティア「大宰府史跡解説員」がご案内いたします。ご希望の方は2週間前までにお申し込みください。お申し込みはこちらまで
  1. 水城館
    平成29年4月、特別史跡「水城跡」東門のそばに開館した便益施設。
    水城の土塁のイメージを盛り土で復元し、その内部に施設を埋め込んだ特徴的な建物で、館内には福祉トイレや休憩スペースを備えているほか、水城について映像やパネルでご紹介しています。
    館と連続した土塁の上部には展望台が設けられ、水城跡を一望のもとに見渡すことができ、また前庭には大伴旅人・児島の万葉歌碑があります。
    史跡散策や学習・観光の拠点として、幅広くご利用ください。管理((公財)古都大宰府保存協会)

  2. 水城東門跡
    古来より太宰府の玄関口としての役割を担い、交通の要衝であった東門ですが、現在門跡は残っていません。しかし、大宰大弐として赴任した藤原高遠が寛弘2(1005)年、水城に到着した際に詠んだ和歌には「岩垣の水城の関に…」とあり、往時には石垣を伴った城門があったと想像されています。
    門の礎石は240×80㎝の長方形をしており、上面には円形や方形の門柱や軸受けの穴が掘りこまれています。江戸時代の『筑前名所図会』には「東の方大路の傍に、門の礎一つ残れり、是を俗に鬼の硯石といふ」と記されています。

     
  3. 水城跡(国・特別史跡)

    663年の白村江で大敗したヤマト政権は、唐・新羅の日本への侵攻に備えるため、水城そして大野城・基肄城を築きました。『日本書紀』には「筑紫に大堤を築きて水を貯えしむ。名づけて水城と曰う」と書かれており、その土塁の長さは約1.2km、高さ約9m、基底部の幅は約80m、博多側から内陸に向かって狭まる平地をふさぐように築かれ、濠には水が貯えられていました。
    大野城市・春日市にも丘陵の谷部を塞いだ小水城と呼ばれる土塁があり、水城大堤と併せて特別史跡水城跡となっています。


     

  4. 姿見の井

    延喜元(901)年、菅原道真が大宰府へ西下した際、身支度を整えるため、この地にあった池に自らの姿を映したといいます。あまりにもやつれた姿を嘆き、池の水をかき回したところ水はたちまち濁り、その後決して澄むことがなかったと伝えられています。近年の調査により、明治期以降に造られた幅1.5m、奥行2.5mの石組み池跡が確認され、現在は「姿見井」として復原されています。

     

  5. 衣掛天満宮
    菅原道真公が大宰府へ入る前に、着替えた衣を松と石に掛けたという故事に因み、後世の人が建てた社です。
    昭和の中頃までは本殿の裏山に大きな松の木があり、博多方面からもよく見えたといいます。松(ご神木)はその後枯れてしまいましたが、拝殿には往時の姿を描いた絵馬が掲げられています。また、拝殿入口に掲げられている扁額はこの松を用い、吉嗣鼓山が筆をとっています。
  6. 陣ノ尾古墳(1号墳)

    四王寺山から南西に延びる丘陵に築造された4基からなる古墳群です。この1号墳は国分小学校建設に伴って調査・復元されました。
    内径12m前後の円墳で、南側に開口する複室の両袖を持つ横穴式石室です。全長6.6m、奥室は床面で長さ2.3m、幅2.0m、高さ約2.0m。前室は長さ1.4m、幅1.3m。出土した遺物は、閉塞石中から耳環1、鉄釘2、羨道覆土から留金状金具1、前室床面から耳環3、鉄釘3、絞具2、刀子1、鉄鏃13、輪状金具1、須恵器平瓶1、前室覆土から土師器坏1、奥室床面から耳環1、鉄釘1、刀子1、奥室覆土から土師器坏1、皿1、椀1などがあります。
    出土した須恵器から、6世紀末頃に築造されたと考えられています。市内に残る数少ない古墳として、市の第1号文化財に指定されています。


  7. 水城跡展望台
    国分小学校裏手の展望台からは、水城の土手の長く伸びる様子を一望することができます。