協会からのお知らせ

(公財)古都大宰府保存協会から、催事や活動の様子などをお伝えします。

最新一覧

2024年 02月16日
大宰府アカデミー・令和編 第10講  井形進先生への質問及び回答(Q&A)を掲載しました。
2024年 01月12日
大宰府アカデミー・令和編 第9講  井上信正先生への質問及び回答(Q&A)を掲載しました。
2023年 12月15日
大宰府アカデミー・令和編 第8講  月野文子先生への質問及び回答(Q&A)を掲載しました。
2023年 11月10日
大宰府アカデミー・令和編 第7講  森弘子先生への質問及び回答(Q&A)を掲載しました。
2023年 10月13日
大宰府アカデミー・令和編 第6講  酒井芳司先生への質問及び回答(Q&A)を掲載しました。
2023年 03月13日
大宰府展示館 入館に際してのお願い
当館の取り組み
● 来館者の皆様に安心してご観覧いただけるよう、新型コロナウイルス感染症感染拡大防止のため、消毒液の設置や換気などの安全対策を実施します。

以下のお客様につきましては、ご来館をお控えいただきますようお願いいたします
● 体調がすぐれないお客様
● 発熱や風邪、臭覚、味覚障害の障害があるお客様

来館されるお客様へのお願い
● マスク着用のご協力をお願いします。
  また、咳エチケットの励行、入館時の手の消毒など、来館者の皆様がお互い安心してご観覧いただけるよう、ご理解、ご協力をお願いいたします。
● 館内での密集をさけるため、入館者数、入館時間を制限する場合がありますので、ご了承ください。
● 観覧される際は、他のお客様との距離をあけてご見学ください。
● 混雑状況によってはご入館をお待ちいただく場合がございます。ご理解とご協力をお願いいたします。


皆様のご来館を心よりお待ちしております。
 
2023年 03月13日
水城館 入館に際してのお願い
当館の取り組み
● 来館者の皆様に安心してご観覧いただけるよう、新型コロナウイルス感染症感染拡大防止のため、消毒液の設置や換気などの安全対策を実施します。

以下のお客様につきましては、ご来館をお控えいただきますようお願いいたします
● 体調がすぐれないお客様
● 発熱や風邪、臭覚、味覚障害の障害があるお客様

来館されるお客様へのお願い
● マスク着用のご協力をお願いします。
  また、咳エチケットの励行、入館時の手の消毒など、来館者の皆様がお互い安心してご観覧いただけるよう、ご理解、ご協力をお願いいたします。
● 館内での密集をさけるため、入館者数、入館時間を制限する場合がありますので、ご了承ください。
● 観覧される際は、他のお客様との距離をあけてご見学ください。
● 混雑状況によってはご入館をお待ちいただく場合がございます。ご理解とご協力をお願いいたします。
 
2022年 12月28日
おうちで「だざいふチャレンジ」 太宰府検定を解いてみませんか‼
 公益財団法人である古都大宰府保存協会は、大宰府の歴史や文化を広く発信していくことを事業の1つとしておりますが、新型コロナウイルス感染症に伴う緊急事態宣言が発令され外出自粛要請の中、自宅で太宰府の歴史や文化などに親しみながらチャレンジできることを何かご提案できないか、という思いから様々な取り組みを行っています。
 今回、古都大宰府保存協会が事務局を務め7年間にわたって開催しました「太宰府検定」の問題を期間限定で再公開いたします。是非ご自宅で時間がある中、太宰府の様々な問題にチャレンジしてみてはいかがでしょうか?



●「太宰府検定」とは?
 「太宰府検定」は太宰府の悠久の歴史や文化を広く全国に発信し、また地域・世代を越えた交流の場を設け、地域への愛着を深めると同時に、次世代の育成、地域の活性化を図ること等を目的に、2012年から2018年まで計7回を開催いたしました。
 「太宰府検定」は初級・中級・上級の3つの級があり、初級・中級は全100問で4択形式、上級は全50問で語句の解答・設問の穴埋め・短文論述などの記述式となっています。
 合格基準は各級とも正解率70%(70点)以上です。是非合格を目指してチャレンジください‼
 出題は太宰府の歴史・文化をはじめ自然・観光・暮らしなど様々なジャンルに及び、内容については森弘子先生監修・(財)古都大宰府保存協会編集の公式テキストである『太宰府紀行』を中心として、回によっては設定されたテーマから一定割合が出題されています。
 「太宰府検定」を通じて皆様が太宰府をもっと知り、より楽しみ、新型コロナウイルスが終息しましたら太宰府の各地へ訪れていただくキッカケとなりましたら幸いです。
  参考テキスト  海鳥社『太宰府紀行』


「太宰府検定」出題データ

・問題データはA4サイズのPDF形式(約500~800KB)となっております。
 それぞれの文字をクリックしますと該当のデータへと移動いたしますので、ダウンロードや印刷などにてご利用ください。


★第1回「太宰府検定」(2012年)
★第2回「太宰府検定」(2013年)
★第3回「太宰府検定」(2014年)

第1回・第2回・第3回データはコチラ↓をクリックください
 https://www.kotodazaifu.net/notice/kentei/852


★第4回「太宰府検定」(2015年) テーマ出題「大野城(四王寺山)」
★第5回「太宰府検定」(2016年) テーマ出題「日本遺産」

第4回・第5回データはコチラ↓をクリックください
 https://www.kotodazaifu.net/notice/kentei/851


★第6回「太宰府検定」(2017年) テーマ出題「さいふまいり」
★第7回「太宰府検定」(2018年) テーマ出題「大宰府史跡発掘50年」

第6回・第7回データはコチラ↓をクリックください
 https://www.kotodazaifu.net/notice/kentei/850


〔更新履歴〕
・2020年5月8日  公開開始
・2020年5月9日  データ更新
・2020年5月14日 データ更新
・2020年5月28日 データ更新・レイアウト変更
2022年 11月16日
「大宰府アカデミー・令和編」の申込受付が始まりました。

公益財団法人古都大宰府保存協会は、令和6(2024)年設立50周年を迎えます。
設立50周年を記念し、令和5(2023)年4月より、最新の大宰府研究成果を多くの方々に広く知っていただくために、連続講座「大宰府アカデミー・令和編」を開講いたします。

お申込みはこちらから↓

https://www.kotodazaifu.net/dazaifu-academy/
 

2021年 11月26日
大宰府政庁跡に立つ三基の石碑
 古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点~

 大宰府政庁跡を訪れると中央にひときわ目立つ3基の石碑が目に入ります。
 これらの石碑は今から約100年~150年前に大宰府跡の保護を願って建立されたものです。
 古代において地方最大の役所「大宰府」が置かれた政庁跡でしたが、機能が終焉(しゅうえん)した中世以降は荒廃が進みました。
 その後、近世・江戸時代以降になると礎石が抜き取られ、土地は田畑へ転用されて耕作地になるなど、さらに荒廃していきました。

 そのような中、明治4(1871)年、明治13(1880)年、大正3(1914)年と相次いで政庁跡に「大宰府」を顕彰する石碑が建立されました。

向かって左側  太宰府址碑(だざいふあとひ)  明治13(1880)年 建立
向かって中央  都督府古趾碑(ととくふこしひ) 明治4(1871)年  建立
向かって右側  太宰府碑(だざいふひ)       大正3(1914)年  建立

 地元の人々による「大宰府」保護への強い願いと深い想いの顕れであるこれら3基の石碑についてご紹介いたします。



太宰府址碑 明治13(1880)年8月建立

 刻まれている文章(碑文)は、黒田藩の学問所修猷館(しゅうゆうかん)の館長であった竹田定簡(たけださだひろ)の案を基に、福岡県令を務めていた渡辺清(わたなべきよし)が作成したと考えられています。

 碑文には、大宰府の由来をはじめ、時代と共に移り変わり行く中で今は礎石(そせき)を残すのみとなった大宰府跡が、廃墟となり跡形もなく消え去ってしまう事を嘆き、御笠郡(みかさぐん)の人々がこの碑を建立したことが記されています。
 この500字程に及ぶ碑文の文字を書いたのは、明治時代を代表する書家として知られる日下部鳴鶴(くさかべめいかく)です。彦根藩に生まれた鳴鶴は官僚として活躍しますが、40歳の時に官を辞して、書の道に生きました。石碑にある東作(とうさく)は本名です。
 また、碑文の上に大きく篆書体(てんしょたい)で書かれた「太宰府址碑」の字は有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)の筆とされます。親王は明治新政府の総裁を務めるなど活躍した人物ですが、西南戦争の指揮のため九州を訪れたり、大宰帥(だざいのそち)や福岡県令を務めるなど福岡と縁深い人物でもありました。

〔太宰府址碑 碑文〕 (PDFファイル 120KB)

↑ 碑文をご覧になりたい方はこちらをクリック下さい



都督府古趾碑 明治4(1871)年7月建立

 正殿跡にある3基の石碑の中で最も古いものです。
 石碑を建立した高原善七郎は御笠郡乙金村(おとがなむら)〔現在の福岡県大野城市〕で代々庄屋を務める家に生まれました。
 33歳で大宰府跡が所在する観世音寺村(かんぜおんじむら)庄屋を務めるなど活躍すると共に、地域に残る文化財の調査や保存、顕彰(けんしょう)などにも努めました。

 81歳で政務を引退した善七郎が最後に取り組んだのが政庁跡への石碑建立でした。歴史ある大宰府跡が荒れ果て、人々に忘れ去られていくことに心を痛めていた善七郎は、明治3(1870)年に長年の悲願であった石碑建立を願い出ました。明治4(1871)年に無事建立され、その様子を見届けるかのように建立の翌年(1872年)に善七郎は永眠しました。
 石碑にある「都督府(ととくふ)」は古代中国の役所の名称で、菅原道真(すがわらのみちざね)公が漢詩「不出門(ふしゅつもん)」で大宰府を中国風に「都府(とふ)の楼には・・・」と表現したことに由来しており、現在も大宰府政庁跡は都府楼跡(とふろうあと)と呼ばれ親しまれています。

〔参考:高原善七郎の石碑建立の願書控〕(PDFファイル 56KB)
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太宰府碑 大正3(1914)年8月建立

 政庁跡の3基の中で建立が最も新しいものですが、石碑の文章が作られたのは最も古いものです。
 碑文を作ったのは儒学者・医者であり福岡藩西学問所・甘棠館(かんとうかん)の学長を務めた亀井南冥(かめいなんめい)です。
 南冥は寛政元(1789)年11月に文章を完成させましたが、碑文の一部「當今封建國邑(まさにいまこくゆうをほうけんし) 名器非古(めいきいにしえにあらず)」が体制批判であるとされ、石碑の建立は中止されてしまいます。

 この時期は福岡藩内で学閥(がくばつ)争いがあり、やがて幕府の命令により朱子学以外の学問が禁止されると、南冥は職を解かれ謹慎のとなり、文化11(1814)年失意のうちに亡くなります。
 その後、南冥の志を受け継いだ門下生などの尽力により、南冥没後100年の大正3(1914)年に石碑が建立されました。

〔太宰府碑 碑文〕(PDFファイル 151KB)
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■古絵葉書から見る政庁跡の石碑

戦前発行の絵葉書に写された政庁跡や石碑の風景をどうぞご覧ください。


絵葉書 その1 PDFファイル 290KB
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絵葉書 その2 PDFファイル 274KB
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絵葉書 その3 PDFファイル 304KB
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☂ 雨天時は大宰府展示館へどうぞ

大宰府展示館では太宰府拓友会の皆様に採取いただいた三基の石碑の拓本を展示しております。
雨天時など、現地での石碑見学が難しい場合はぜひ大宰府展示館をご利用ください。


〔参考文献〕
・太宰府市文化ふれあい館『拓本でたどる保存の心』2006年
・太宰府市文化ふれあい館『碑帖辿歴 拓本で紡ぐ史跡のかたち』2019年