協会からのお知らせ

(公財)古都大宰府保存協会から、催事や活動の様子などをお伝えします。

最新一覧

2021年 02月12日
YouTube(ユーチューブ)による講座・講演会視聴のご案内
当協会では、太宰府の歴史や文化財の広報普及を目的とした様々な事業を行っています。
コロナ禍における外出自粛要請の中、私達の活動を少しでも皆様にお伝えできればと、期間限定で今年度に実施した事業の中から3つの講座・講演会について、YouTube(ユーチューブ)を利用した動画配信を行っています。
会場に足を運んだ気分になってご覧ください!

↓↓↓
講座・講演会の視聴へ


また私達の事業の趣旨にご賛同いただける皆様に会員入会のお願いをいたしております。
こちらもぜひご覧ください。
↓↓↓
公益財団法人古都大宰府保存協会について

会員のご案内

 
2021年 01月14日
緊急事態宣言に伴う定例散策(門前町・大宰府政庁跡・水城跡)の中止について
緊急事態宣言に伴い、以下の定例散策をしばらく中止とさせていただきます。
再開についてはホームページでお知らせいたします。


●毎月第1日曜日(1月は除く)
 「門前町散策」
 
●毎月第2日曜日
 「大宰府政庁跡周辺」

●毎月第3日曜日
 「水城提散策」
 

 
2020年 12月10日
大宰府展示館 入館に際してのお願い
当館の取り組み
● 来館者の皆様に安心してご観覧いただけるよう、新型コロナウイルス感染症感染拡大防止のため、消毒液の設置や消毒、職員のマスク着用などの安全対策を実施します。
● 施設の出入口を開放するなど、換気を行います。

以下のお客様につきましては、ご来館をお控えいただきますようお願いいたします
● 体調がすぐれないお客様
● 発熱や風邪、臭覚、味覚障害の障害があるお客様

来館されるお客様へのお願い
● マスク着用の上、ご入館ください。
  また、咳エチケットの励行、入館時の手の消毒など、来館者の皆様がお互い安心してご観覧いただけるよう、ご理解、ご協力をお願いいたします。
● 館内での密集をさけるため、入館者数、入館時間を制限する場合がありますので、ご了承ください。
● 観覧される際は、他のお客様との距離をあけてご見学ください。

入場者数の制限について
● 新型コロナウイルス感染症予防のために、館内におけるお客様の人数を20名までとさせていただきます。混雑状況によってはご入館をお待ちいただく場合がございます。ご理解とご協力をお願いいたします。


皆様のご来館を心よりお待ちしております。
 
2020年 12月10日
水城館 入館に際してのお願い
当館の取り組み
● 来館者の皆様に安心してご観覧いただけるよう、新型コロナウイルス感染症感染拡大防止のため、消毒液の設置や消毒、職員のマスク着用などの安全対策を実施します。
● 施設の出入口を開放するなど、換気を行います。

以下のお客様につきましては、ご来館をお控えいただきますようお願いいたします
● 体調がすぐれないお客様
● 発熱や風邪、臭覚、味覚障害の障害があるお客様

来館されるお客様へのお願い
● マスク着用の上、ご入館ください。
  また、咳エチケットの励行、入館時の手の消毒など、来館者の皆様がお互い安心してご観覧いただけるよう、ご理解、ご協力をお願いいたします。
● 館内での密集をさけるため、入館者数、入館時間を制限する場合がありますので、ご了承ください。
● 観覧される際は、他のお客様との距離をあけてご見学ください。

入場者数の制限について
● 新型コロナウイルス感染症予防のために、館内におけるお客様の人数を6名までとさせていただきます。混雑状況によっては入館をお待ちいただく場合がございます。ご理解とご協力をお願いいたします。



皆様のご来館を心よりお待ちしております。
 
2020年 07月01日
定例散策のご案内(門前町・大宰府政庁跡周辺・水城提)
大宰府史跡解説員が定期的に史跡をご案内する「定例散策」を実施しています!

●毎月第1日曜日(1月は除く)
 「門前町散策」
 
集合場所/ 太宰府館 (太宰府市宰府3-2-3 (092)918-8700)
 集合時間/ 10時(所要時間 2時間)
 ※ 少雨決行
 
●毎月第2日曜日
 「大宰府政庁跡周辺」
 集合場所/ 大宰府展示館 (太宰府市観世音寺4-6-1 (092)922-7811)
 集合時間/ 10時(所要時間 2時間)
 ※ 少雨決行

●毎月第3日曜日
 「水城提散策」
 集合場所/ 水城館 (太宰府市国分2-17-10 (092)555-8455)
 集合時間/ 10時(所要時間 2時間)
 ※ 少雨決行


いずれも、参加費無料・申込不要です。


 
2020年 05月08日
おうちで「だざいふチャレンジ」 太宰府検定を解いてみませんか‼
 公益財団法人である古都大宰府保存協会は、大宰府の歴史や文化を広く発信していくことを事業の1つとしておりますが、新型コロナウイルス感染症に伴う緊急事態宣言が発令され外出自粛要請の中、自宅で太宰府の歴史や文化などに親しみながらチャレンジできることを何かご提案できないか、という思いから様々な取り組みを行っています。
 今回、古都大宰府保存協会が事務局を務め7年間にわたって開催しました「太宰府検定」の問題を期間限定で再公開いたします。是非ご自宅で時間がある中、太宰府の様々な問題にチャレンジしてみてはいかがでしょうか?



●「太宰府検定」とは?
 「太宰府検定」は太宰府の悠久の歴史や文化を広く全国に発信し、また地域・世代を越えた交流の場を設け、地域への愛着を深めると同時に、次世代の育成、地域の活性化を図ること等を目的に、2012年から2018年まで計7回を開催いたしました。
 「太宰府検定」は初級・中級・上級の3つの級があり、初級・中級は全100問で4択形式、上級は全50問で語句の解答・設問の穴埋め・短文論述などの記述式となっています。
 合格基準は各級とも正解率70%(70点)以上です。是非合格を目指してチャレンジください‼
 出題は太宰府の歴史・文化をはじめ自然・観光・暮らしなど様々なジャンルに及び、内容については森弘子先生監修・(財)古都大宰府保存協会編集の公式テキストである『太宰府紀行』を中心として、回によっては設定されたテーマから一定割合が出題されています。
 「太宰府検定」を通じて皆様が太宰府をもっと知り、より楽しみ、新型コロナウイルスが終息しましたら太宰府の各地へ訪れていただくキッカケとなりましたら幸いです。
  参考テキスト  海鳥社『太宰府紀行』


「太宰府検定」出題データ

・問題データはA4サイズのPDF形式(約500~800KB)となっております。
 それぞれの文字をクリックしますと該当のデータへと移動いたしますので、ダウンロードや印刷などにてご利用ください。


★第1回「太宰府検定」(2012年)
★第2回「太宰府検定」(2013年)
★第3回「太宰府検定」(2014年)

第1回・第2回・第3回データはコチラ↓をクリックください
 https://www.kotodazaifu.net/notice/kentei/852


★第4回「太宰府検定」(2015年) テーマ出題「大野城(四王寺山)」
★第5回「太宰府検定」(2016年) テーマ出題「日本遺産」

第4回・第5回データはコチラ↓をクリックください
 https://www.kotodazaifu.net/notice/kentei/851


★第6回「太宰府検定」(2017年) テーマ出題「さいふまいり」
★第7回「太宰府検定」(2018年) テーマ出題「大宰府史跡発掘50年」

第6回・第7回データはコチラ↓をクリックください
 https://www.kotodazaifu.net/notice/kentei/850


〔更新履歴〕
・2020年5月8日  公開開始
・2020年5月9日  データ更新
・2020年5月14日 データ更新
・2020年5月28日 データ更新・レイアウト変更
2020年 04月24日
おうちで「大宰府史跡ものがたり」を見よう!
新型コロナウイルス感染症に伴う緊急事態宣言が発令され、外出自粛要請の中、令和発祥の都太宰府市では「#おうちで太宰府~令和発祥の都でBeautiful Harmony~」として自宅の暮らしをサポートする企画が始まりました。

こちら↓↓↓
http://www.city.dazaifu.lg.jp/admin/soshiki/somu/204/379/corona/16961.html


この中の「映像で楽しむ太宰府プロジェクト」では、当財団が企画・制作した「大宰府史跡ものがたり」をご覧いただくことができます(第17回「全国地域映像コンクール」審査員特別賞受賞)。おうちで太宰府の魅力を再発見してみてください!

こちら↓↓↓
http://www.city.dazaifu.lg.jp/admin/soshiki/somu/204/379/corona/16971.html
2020年 04月01日
臨時職員の登録を受け付けます
臨時職員の登録を受け付けます。
大宰府展示館で勤務する臨時職員を希望される方は、あらかじめ登録を必要としますので、申込をお願いします。

■登録受付
 月曜日・土曜日・日曜日・祝日を除き、午前8時30分から午後5時まで

■提出書類
 1.登録申込書(大宰府展示館備え付け、または当財団のホームページからダウンロード)を郵送、または持参ください。
   → 申請書一覧ダウンロードサービス
 2.学芸員資格証明書(学芸員補助業務を希望する方のみ)

■提出先
 公益財団法人古都大宰府保存協会(大宰府展示館内) ※郵送可

■任用方法
 登録された人の中から、雇用を必要とするときに面接等で選考し採用します。
 登録者全員に採用を約束するものではありません。

■勤務日・時間
 週3日(土曜日・日曜日・祝日を含むシフト制)午前8時30分から午後5時まで
 ※月曜日休館(祝日の場合は開館。翌平日休館)

■賃金(令和2年度)
 日額(7時間45分) 6,800円
 支給日/ 毎月22日(月末締め翌月払い・土日祝日の場合はその前日)
 労災保険加入

■年齢
 満65才まで

■登録有効期間
 受付日から1年間

■職種
 (1)史跡地の整備業務(関係事務含む)
   (2)  受付・一般事務(Word・Excelなどのパソコン操作ができる人)
 (3)学芸員補助業務(学芸員有資格者)


■お問い合わせ先
 公益財団法人古都大宰府保存協会
 〒8181-0101
 太宰府市観世音寺四丁目6-1(大宰府展示館内)
 TEL (092)922-7811
 午前8時30分から午後5時
 ※休館日/ 毎週月曜日(祝日の場合は翌平日休館)・12月28日から翌年1月4日)
2020年 03月18日
おうちで「だざいふ」チャレンジ!牛乳を使って、古代の「蘇(そ)」を作ってみよう♪

〔おうちにいるみんなへ〕

 新型コロナウイルスが広まって学校などがお休みになってしまいました。
 そこで、お休みのあいだの時間を使って、おうちで牛乳を使ってかんたんに出来る「蘇(そ)」作りにチャレンジしてみませんか?
 むかしの人たちが食べていた「蘇」って一体どんな味がするのでしょう?
 その味は出来てからのお楽しみです♪
 

【保護者の皆様へ】
 福岡県では新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため学校が一斉休校となっています。
 公益財団法人である古都大宰府保存協会は大宰府の歴史や文化を広く発信していくことを事業の1つとしておりますが、今回の長期間の休校をうけ、子供たちが自宅で太宰府の歴史や文化などに親しみながらチャレンジできることを何かご提案できないか、という思いから様々な取り組みを行っています。
 今回ご紹介する「蘇」は、1000年以上前の人々が食べていた古代食の一つです。学校が休校となり給食用の牛乳が余るなか、牛乳とホットプレートと1時間程度の作業時間があれば簡単にご家庭で出来るものです。ぜひこの機会に試してみてはいかがでしょうか。
 

◆準備するもの
・牛乳 適量
(煮詰めていきますので、出来上がりは元の量の大体10分の1くらいになります)
(本コーナーでは1リットルのものを使用しています)
・ホットプレート
(ガスコンロ等でも調理可能ですが、お子様とチャレンジされることを想定し、火を使わないホットプレートなどを推奨しております。また、ホットプレートは複数使用されますとブレーカーが落ちやすくなりますので、複数で作る際はご留意下さい)
・牛乳をかき混ぜるヘラなど

※調理時間の目安 1時間程度


〔保護者の皆様へ〕
太宰府市にあります永利牛乳は、市内の学校をはじめ福岡県内9市3町の学校給食へ牛乳を届けている会社です。給食の時間に飲まれた記憶がある方も多いのではないでしょうか。
現在、太宰府市では「ふるさと納税」などを通じて休校中における生産活動の支援をしておりますので、永利牛乳株式会社太宰府市「ふるさと納税」関連ページもあわせてご覧頂ければ幸いです。



蘇とは?
 「蘇(そ)」は「酥(そ)」ともいわれるもので、むかしの人たちが牛乳を煮つめて作って食べていたものです。
 今から1200年前の平安時代(へいあんじだい)につくられた『和名抄(わみょうしょう)』という辞書には、酥(そ)は牛などの乳から出来ているということが書かれています。
 同じ平安時代の『延喜式(えんぎしき)』という法律をまとめたものには、「蘇(そ)」の作り方が書いてあります。
(『延喜式』「民部下」) 作蘇之法、乳大一斗煎、得蘇大一升
 少し文章が難しいですが、大1斗(約7.2ℓ)を煎じる(煮つめる)と大1升(約720㎖)の蘇を得られるということが書いてあり、蘇は牛乳をあたためて10分の1まで煮つめて作っていたようです
(※「升」や「斗」は当時使われていた量の単位で、大1升を10倍すると大1斗になります。詳しくは後ほどご紹介していますので合わせてご覧ください)
 
 今から1000年以上前の奈良時代や平安時代は牛乳がとても貴重でしたので、その牛乳を10分の1まで煮つめる蘇はもっと貴重でした。そのため蘇は天皇(てんのう)や貴族(きぞく)などが食べるとても豪華な食品でした。
 また、栄養満点の牛乳から作るので、むかしの人たちは病気の時にも食べていたようです。その他にも、仏さまへのお供えものとしてお坊さんたちにも大事にされていたようです。
 やがて蘇は日本全国で作られるようになり、大宰府からも都へたくさんの蘇が運ばれていた記録が残っています。
 
 ただ、残念なことに蘇の詳しいレシピは残っていません。ナゾの多い蘇を、ぜひ自分で作ってどんな味がするのか確かめてみましょう!


蘇を作ってみよう! 蘇の作り方
ホットプレートを180℃~200℃前後に温める

用意していた牛乳を流し込む


あとは牛乳が焦げないようにかき混ぜつつ、粘り気が出るまで煮つめる

 
ポイント1
 ホットプレートの縁などに付いてしまった牛乳は、焦げないうちに内側に削いで「だま」にならないようにかき混ぜましょう。また、かき混ぜないと表面に膜が出来てしまうので、固まらないよう気をつけてかき混ぜましょう。

ポイント2
 焦げ目が少ないと、風味が良く、美しい乳白色に出来上がります


出来上がるまでは1時間前後かかります。「蘇」についての色々なお話を下の方に載せていますので、牛乳をかき混ぜながら「蘇」のことをさらに知ってみましょう♪

 
1時間程煮つめていると牛乳の水分が飛んで、粘り気が出てきます。さらに固まってきたら、最後はサランラップなどにくるんで形を整えましょう。サランラップの空き箱などを使うと四角い形にするのに便利です。
 

熱が冷めて固まったら、お好きな形に切り分けて食べましょう♪

(※温かいままでも美味しく食べられます。形を整えて切る場合は冷蔵庫で1時間ほど冷やすと切りやすくなります)
 お好みでトッピングをするとより美味しくなるかも?
 1300年前の人たちも食べていた「蘇」をどうぞお召し上がり下さい。
 



蘇を煮つめてかき混ぜる間のよもやま話
蘇が出来上がるまで1時間ほどかかります。
牛乳をかき混ぜている間、蘇にまつわる色々なお話をみてみましょう♪
 
○蘇を食べる時はどんな時?
 
公益財団法人古都大宰府保存協会所蔵 饗宴(きょうえん)の膳(ぜん)と蘇(そ)の再現模型

博多人形による「梅花の宴」再現ジオラマ(山村延燁作)
 

 貴族の人たちが開く宴会(えんかい)など色々な時に食べられていたようです。
 天平2(730)年1月13日に大宰府で行われた「梅花の宴(ばいかのえん)」は、みんなが使っている元号(げんごう)「令和(れいわ)」の由来となった行事ですが、その時の食事でも出されていたと考えられています。大宰府展示館では、その時の食事の模型を展示していますので、新型コロナウイルスが治まったらぜひ遊びに来てください。
 
 また、栄養満点の牛乳から作られた蘇は病気の人が元気になるためにも食べられていたようです。
 中国の唐(とう)で作られた本で、遣唐使(けんとうし)の人たちが海を渡って日本へ持ち帰り、お医者さんの教科書として使われた『新修本草(しんしゅうほんぞう)』という本があります。
 この中で蘇は、内蔵をおぎなって、大腸を良くして、口の中のケガに効く食べ物として紹介されています。

 平安時代の貴族として有名な藤原道長(ふじわらのみちなが)は、長和5(1016)年に重い病気にかかりましたが、その時に薬として蘇と蜜(みつ)を煮たものを食べたことが記録にあります。このように蘇は薬のように使われてもいたようです。


○蘇の原料となった牛乳はいつから使われていたの?
 奈良時代に活躍した長屋王(ながやおう)という偉い人が住んでいた家の跡から「牛乳」と書かれた木簡(もっかん:木の板に墨で文字を書いたもの)が見つかり、1300年前の奈良時代から牛乳が使われていたことが分かりました。


○むかしは牛からどれくらい牛乳が採れたの?
 最初にもお話しした平安時代の『延喜式(えんぎしき)』という法律をまとめたものには、牛から採れる牛乳の量が書いてあります。
(『延喜式』「民部下」)其取得乳者、肥牛日大八合、痩牛半
 よく育った牛からは1日に大8合(約576㎖)、痩せた牛からはその半分(約288㎖)の牛乳が採れたようです。
 現在の乳牛はエサも美味しくなり、技術も進歩したので、平均して1日に20ℓ~30ℓほど採れるそうです。
 むかしの牛乳がとても貴重だったことが分かりますね!



★むかしの人たちが使っていた「量」
 じつは奈良時代などむかしの人たちが量るために使っていた「升(ます)」の大きさがどのくらいだったのか詳しく分かっていません。
 これまで色々な人たちが調べてきましたが、現在では沢田吾一(さわだごいち)先生が調べた「当時の大1升=現在の約4合(約720㎖)」ではないかと考えられています。
 このページでも沢田先生の計算に基づいてご紹介しています。

 
大1合  約72㎖
大10合 = 大1升
 
小1升  約240㎖
小3升  = 大1升
 
大1升  約720㎖
大10升 = 大1斗
 
大1斗  約7.2ℓ
 


○大宰府でも蘇を作っていたの?
 平安時代には日本各地で蘇が作られるようになりました。そこで日本全国を6つの地区に分けて6年に1回ずつ、それぞれの地区が担当して決められた量の蘇を都へ送っていたことが、何度もご紹介している『延喜式』に書かれています。
 大宰府は5番目の地区で、巳亥年(現在だと干支(えと)の「へび年」と「いのしし年」)の担当として、都へ70壺の蘇を送ることが決められていました。
 
大宰府が都へ納めていた蘇の量はどれくらい?
 
(『延喜式』「諸国貢酥番次」)
第五番巳亥年 大宰府 七十壺
十五口  各大一升
三十五口 各大五合
二十口  各小一升
 
大宰府から都へ送る70壺は、それぞれ大きさも決まっていました。
70壺のうち15個は大1升、35個は大5合、残りの20個は小1升だったようです。
 
これを計算すると、
15×約720㎖ = 約10.8
35×約360㎖ = 約12.6
20×約240㎖ = 約4.8ℓ
 
合計で約28.2ℓとなり、とても多くの蘇が都へと送られていた事が分かります。

 現在の太宰府市には九州一帯をまとめる「大宰府(だざいふ)」という役所がありましたので、九州各地で作られた蘇は、まず大宰府に送られて、大宰府でまとめてから都へと送られていきました。
 
 ただし、牛乳がよく採れるかは自然にも影響されますし、都から遠い大宰府ですので届くのが遅れることもあったようです。
 永延2(988)年の正月20日、摂政(せっしょう)という高い身分にあった藤原兼家(ふじわらのかねいえ)という人が、自宅で大きな宴会を開くこととなりました。そのため、朝廷(ちょうてい)から兼家に蘇が送られるはずでしたが届きませんでした。
 実は、この年の蘇を担当していたのは大宰府だったのですが、都に届くのが遅れていたようです。結局、大宰府からの蘇は20日夕方に都に到着し、翌21日に無事に兼家のもとへ届けられました。


主な参考文献
白崎昭一郎「蘇について」1982年 『日本医史学雑誌』28巻
永山久夫『日本古代食事典』1998年 東洋書林
佐藤健太郎「古代日本の牛乳・乳製品の利用と貢進体制について」2012年 『関西大学東西学術研究所紀要』45巻

◇蘇つくりの写真
太宰府市でむかしの人たちが食べていた物や歴史、文化を研究(けんきゅう)している「常若の会(とこわかのかい)」のみなさんが作っているところにお邪魔して撮らせていただいたものです。(2018年7月18日撮影)
 
 


〔更新履歴〕
・2020年3月18日 公開開始
・2020年3月19日 数量の表記間違いを修正・大宰府から送られていた蘇の量を追記
2019年 08月12日
大宰府条坊 客館周辺 再現ジオラマ  古代の大宰府を覗いてみよう2!!

大宰府(だざいふ)条坊(じょうぼう) 客館(きゃくかん)周辺(しゅうへん) 再現(さいげん)ジオラマ
時代:8世紀後半 製作:森野(もりの)(はる)(ひろ)

古代大宰府の街並みは、地方最大の役所であった「大宰府(だざいふ)」を中心として広がっていました。様々な人や物が行き交い、海外との交流も盛んであった大宰府は大変(にぎ)やかな都市だったようで、769年に大宰府から都へ出された申請書には、「この府、人物(いん)(ぱん)にして、天下の一都会なり」と記されています。
古代大宰府の全容(ぜんよう)は未だ明らかではありませんが、今回、森野氏に発掘調査報告書などを基に、推定などを含めながら8世紀後半頃における大宰府の街並みの中心部分を製作いただきました。
朱雀(すざく)大路(おおじ)を中心に広がる街並み、客館(きゃくかん)での儀礼(ぎれい)の風景、道を行き交うたくさんの人々や暮らしの様子など、再現された活気あふれる街並みを是非ご覧ください。



朱雀(すざく)大路(おおじ)街並(まちな)
朱雀大路は、大宰府の街並みを中央にはしる大きな道です。大宰府政庁(せいちょう)の南側に位置する朱雀門からまっすぐ南へと延びており、その幅は現在の高速道路だと10車線分にあたる幅36mほどありました。
朱雀大路の両側には、90m四方(しほう)に区画された条坊制(じょうぼうせい)の街並みが広がっていたようです。区画の中はさらに分割されて、多くの家が建ち並び、人々が生活していたようです。「天下之一都会」ともいわれた古代大宰府の賑わいがうかがえます。

多くの人々が行き交う朱雀大路の左右には街並みが広がっていました。


高官(こうかん)たちの(やかた)
大宰府の街並みのメインストリートであった朱雀大路沿いには、大宰府で働く身分の高い役人(高官(こうかん))の(やかた)があったようです。
ジオラマで再現された時代から約100年後、901年に大宰府へと流された菅原道真(すがわらのみちざね)は高官用の館に滞在しましたが、手入れも悪く大変荒れ果てた様子だったようです。
この館は「
()南館(なんかん)」と呼ばれ、後に榎社(えのきしゃ)が建立されました。
また、周辺からは高官だけが
着用(ちゃくよう)を許された白玉帯(はくぎょくたい)(かざ)りなども出土(しゅつど)しています。


ジオラマでは便宜上(べんぎじょう)、大宰府において長官(ちょうかん)である(そち)に次いで高官であった「大弐(だいに)」「少弐(しょうに)」の館として再現しています。


客館(きゃくかん)
客館(きゃくかん)とは、外国からの使節(しせつ)たちが滞在(たいざい)するための施設(しせつ)です。
古代における大宰府は、外国とのやりとりを行う窓口として重要な役割を(にな)っていたため、政庁(せいちょう)で外交儀礼(ぎれい)などが行われました。
海を渡ってやってきた外国の使節たちは、博多湾(はかたわん)沿いの筑紫館(つくしのむろつみ)鴻臚館(こうろかん))にまず向かい、その後、(かん)(どう)を進み、(みず)()の西門を通り、大宰府の街並みへ南側から入り、客館に滞在しました。
客館跡では青銅(せいどう)で出来たお(わん)や皿、スプーン、貴重な陶磁器(とうじき)などが見つかっており、豪華(ごうか)なおもてなしが行われていたようです。

客館では大宰府の役人(左列)と外国の使節団(右列)が対面しているようです。


ジオラマで巡る古代大宰府の旅はいかがだったでしょうか?このコーナーでは、今後も少しずつご紹介する場所を増やしていく予定です。
 ご紹介した以外にも、太宰府には古代にゆかりある様々な遺跡が残っています。ぜひ散策しながら、古代の大宰府に想いを馳せてみてはいかがでしょう。