2019年 08月12日
大宰府条坊 客館周辺 再現ジオラマ 古代の大宰府を覗いてみよう2!!
※2021年11月12日より、新たなジオラマ「大宰府条坊イメージジオラマ」と統合した展示へと変更いたしております。
大宰府条坊 客館周辺 再現ジオラマ時代:8世紀後半 製作:森野晴洋氏
古代大宰府の街並みは、地方最大の役所であった「大宰府」を中心として広がっていました。様々な人や物が行き交い、海外との交流も盛んであった大宰府は大変賑やかな都市だったようで、769年に大宰府から都へ出された申請書には、「この府、人物殷繁にして、天下の一都会なり」と記されています。
古代大宰府の全容は未だ明らかではありませんが、今回、森野氏に発掘調査報告書などを基に、推定などを含めながら8世紀後半頃における大宰府の街並みの中心部分を製作いただきました。
朱雀大路を中心に広がる街並み、客館での儀礼の風景、道を行き交うたくさんの人々や暮らしの様子など、再現された活気あふれる街並みを是非ご覧ください。
◆朱雀大路と街並み
朱雀大路は、大宰府の街並みを中央にはしる大きな道です。大宰府政庁の南側に位置する朱雀門からまっすぐ南へと延びており、その幅は現在の高速道路だと10車線分にあたる幅36mほどありました。
朱雀大路の両側には、90m四方に区画された条坊制の街並みが広がっていたようです。区画の中はさらに分割されて、多くの家が建ち並び、人々が生活していたようです。「天下之一都会」ともいわれた古代大宰府の賑わいがうかがえます。
多くの人々が行き交う朱雀大路の左右には街並みが広がっていました。
◆高官たちの館
大宰府の街並みのメインストリートであった朱雀大路沿いには、大宰府で働く身分の高い役人(高官)の館があったようです。
ジオラマで再現された時代から約100年後、901年に大宰府へと流された菅原道真は高官用の館に滞在しましたが、手入れも悪く大変荒れ果てた様子だったようです。
この館は「府の南館」と呼ばれ、後に榎社が建立されました。
また、周辺からは高官だけが着用を許された白玉帯の飾りなども出土しています。
ジオラマでは便宜上、大宰府において長官である帥に次いで高官であった「大弐」「少弐」の館として再現しています。
◆客館
客館とは、外国からの使節たちが滞在するための施設です。
古代における大宰府は、外国とのやりとりを行う窓口として重要な役割を担っていたため、政庁で外交儀礼などが行われました。
海を渡ってやってきた外国の使節たちは、博多湾沿いの筑紫館(鴻臚館)にまず向かい、その後、官道を進み、水城の西門を通り、大宰府の街並みへ南側から入り、客館に滞在しました。
客館跡では青銅で出来たお鋺や皿、スプーン、貴重な陶磁器などが見つかっており、豪華なおもてなしが行われていたようです。
客館では大宰府の役人(左列)と外国の使節団(右列)が対面しているようです。
ジオラマで巡る古代大宰府の旅はいかがだったでしょうか?このコーナーでは、今後も少しずつご紹介する場所を増やしていく予定です。
ご紹介した以外にも、太宰府には古代にゆかりある様々な遺跡が残っています。ぜひ散策しながら、古代の大宰府に想いを馳せてみてはいかがでしょう。